サブタイトル:七夕前日の夜
皆さんは短冊に願いを書いたことがありますか?
短冊文化は江戸時代にはじまったらしい。
寺子屋(てらこや)で読み書きの上達を願うものとして
短冊に書くというのが習わしになったらしい。
明治以降は七夕=ロマンティックな星の祭り的な解釈になったとか。
僕はふと思ったことがある。
流れる星に向かって願うのは人間の傲慢なのではないか。
流れ星はまもなく大気圏で消えてなくなる、
余命いくばくかの星の最後の輝きである。
そんな星に向かって願うのは
少々かわいそうではないのか?
消えていく星に
その星の寿命を延ばしてください。
と短冊や心に思ったり、
長い年月をかけて生き、
死の覚悟のできた星に
ただ見守りゆっくり穏やかに見る人はいないのだろうか?
僕はこう思う。
短冊は【願う】のではなく、【寄り添う】ためにあるのではないのか?
七夕の原点は
【技の上達を願う日】だった。
つまり他力本願ではなく、
自らの努力を高める覚悟の日。
それに色鮮やかな短冊という色を付けたにすぎないのだ。
だから、短冊には何も書かないという
最大の敬意と沈黙があってもいいのではないか。
神様に願うのでさえ
人々の感謝と今後のみんなの幸せなのだから。
死にゆく一等星たちに願うのは少し荷が重い気がする。
だから今の七夕は
「願う人間と、願われる星がすれ違う夜」なのかもしれない。
ここから本題を書きたい。
世の中には昔からの慣行や法律、人々の考え方に誤りがあると思っている。
七夕の短冊も僕からしてみたら
くだらないことの一つだった。(ロマンや行事という部分ではかわいいが(笑))
そんなどうしようもない僕が、
法律では何も救えないと思っている僕が、
税理士になった価値があると思っている。
矛盾や仕組みを知っているからこそ、
中から破壊できる人間になりたいと思っている。
10年後もそう言っていたい。
この短冊と相続はよく似ている。
そう何を隠そう、、、、
これは相続と向き合う税理士の話である。
本タイトル
「短冊に何も書かない夜」